Nishinari Airin-District Shin-Imamiya Day worker’s city street (Doyagai)
ネットで新今宮近辺で育った人の話などを読み、興味を持って訪れてみた。大阪生まれ・大阪育ちの人でも「あそこは好き好んで行く所ではない」という調子だったので、わざわざ興味を持って訪れることは相当おかしいだろうと自分でも思いながら。新今宮(南霞町)~動物園前~萩之茶屋一帯のドヤ街のことを「あいりん地区」「釜ヶ崎」というのだということは訪れた後になってから知った。街の荒れ果て方は想像以上で、怖かった。でも店の人などと接すると環境自体は特異でも対応自体は無難なことが多く。本当はもっと突っ込んだ写真を撮りたかったけど、さすがに人にカメラを向けるわけにはいかないので、人の少ない場所を遠巻きに写すのみ。この時は早朝だったため、人影は控えめだったかもしれない(→後で知ったが、西成の人達はむしろ朝が活発で夜は早い)。街全体に車椅子に乗った人々や野良犬が多かったのが印象的だった。
言うまでもなく、この一帯は非常に不衛生。街全体に汚物の匂いが立ちこめてる。道端に普通に人糞なども転がってる。地元の人もこの地区は避けるという噂を耳にした。たしかに凄まじく「美」とはかけ離れた光景。だけど、なぜか強烈に惹かれるものを感じる。
▼ジャンジャン横丁の入り口。結構怪しげな人を見かける。夜は特に用もなくうろついている人が目立つ。
▼飛田新地の方に向かう通路角にある喫茶店。
▼職安、市営萩之茶屋住宅の周辺には屋台が立ち並ぶ。
▼ハイツアイリスとアパート中央荘の間。
▼一見普通そうな(?)高層ビジネスホテル。その前にも50円自販機が設置してある。
▼ハイツアイリスとアパート中央荘の間。
▼丸美という提灯のついた屋台の右奥の茶色い建物は市立荻之茶屋小学校。こちらを見るおじさんの視線が気になる。
▼右側の外壁はわかくさ保育園。
写真を撮っているときに、通学途中らしい3~4年生くらいの小学生の女の子が横切っていった。昔ながらの黄色い帽子と赤いランドセルという素朴な格好をしていた。周囲の環境にはまったく動じていなくて、慣れきったふうだった。
▼左側、同じくわかくさ保育園。まわりの環境はあれだが、普通の保育園と同じように壁に可愛らしいイラストが描いてあったりする。
▼1泊数百円から2000円くらいまでの安宿が多い。簡易ロッカーや一時荷物預所もたくさんある。夕方以降になると、多くの人が出入りする。一日の稼ぎを終えた人々?
▼ジュースの自販機は50~70円が多い。まれに女性も見かける。
▼南海高野線と職安の間の通りに、浮浪者のフリーマーケット?のような露天が並ぶ。掘り出し物があれば何か買おうかなと思ったが、特にこれといったものはなく。どこかのゴミ捨て場から拾ってきたのかな・・・と思わせる品も少なくなかった。
昭和27年8月3日の朝日新聞には、このあたりの現状が次のように記されている。
『浮浪者に保護の手 市内だけで九千三百名 「仮小屋」で6,007名(男 6,549、女2,755)で、家族が2,084世帯、竹柱を4本立て、ムシロをぶらさげた程度のものから、古トタンで屋根をふき、よせ集めながらガラス 窓もそなえ風雨は一応よけられる程度のものまで種々雑多。いちばん多いのは関西線、南海線のガードのある浪速区で1,944名。今宮、釜ヶ崎のある西成区 は562名。(一部抜粋)』
▼萩之茶屋南公園(通称:三角公園)。
ハトが煮炊きされるという噂をきいたことがある。真偽はともかく、そういうことをしている人がいても問題視されなそうな雰囲気ではあった。
▼バラック呑み屋。
▼南海線のガード下ではフリーマーケットが開かれている。
▼JR新今宮駅ガード下。
▼JR新今宮駅のガード下の倉庫。老朽化が激しい。
▼昭和29年 不良住宅地区分布図(大阪市役所 1958)
▼昭和12年 不良住宅地区分布図
▼大正期の市営住宅(今宮共同宿舎)
この建物は社会福祉事業として建てられ、 中庭を取り囲むように小さな部屋が並んでいた。
「北日東住宅」「下寺住宅」「南日東住宅」よりも前に建てられ、この一帯の住宅事業を進めるための一種実験のようなものでもあったらしい。場所は天下茶屋 の入船町付近で、 戦後復興の土地区画整理事業のため潰された。入り口はとても狭いが開放的な中庭が配してあった。これらの大阪のRC市営住宅は関東大震災後の復興事業とし て建てられた同潤会アパートメントよりもずっと前に建築申請されていた。(下図:出典 「建築と社会」第12輯第8号)
あいりん地区ドヤ街 新今宮~動物園前~萩之茶屋 MAP
●1975年の西成周辺の航空写真
●1963年の西成周辺の航空写真
●1950年の西成周辺の地形図
●1947年の西成周辺の航空写真
●1930年の西成周辺の地形図
●1920年の西成周辺の地形図
●明治時代の西成周辺の地形図
Reference link
◆スラムの形成とクリアランスからみた大阪市の戦前・戦後[PDF]
◆簡易宿所 Wikipedia
◆あいりん地区 Wikipedia
◆大阪の安い宿
◆にしなり どっとこむ https://www.nisinari.com/
◆釜ケ崎情報案内
◆じゃりんこチエの西成へ ウロウロ浮揚彷徨ホーボー その25
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