前半戦からの続き。
湯ケ島坑については、以下のサイトさんの情報を頼りに訪問してみた。でも情報が古かったらしく、諸々と様変わりしていた。はじめは古い情報ということにすら気づかず、場所を間違えたのかと思った。伊豆金山マニアの間では有名らしいが、意外とのどかでひなびた場所だった。
参考:Kanayama Mine<湯ヶ島の金山(かなやま)>
参考:湯ヶ島金山のトロッコ跡
参考:天城湯ヶ島金山廃坑(2003年03月) 廃墟系
地図:Google Maps
地図:理院地図 – GSI Maps|国土地理院
中外鉱業(株)持越工場の看板がある三叉路。持越鉱山は湯ヶ島坑より西側5km先ほどに行ったところにある。8年位前までは確実に操業していて(2009年現在)、持越鉱山行きのバスも運行していたみたいだけど(参考)、現在は持越方面のバスが運行していないようなので、廃業になっちゃったのかな。よく見ると看板に「温泉休業」とか書いてあるし。観光業もダメになっちゃったのかな。
近くに「伊豆の金山」の案内板が設置してあったが、ネットで見た状態とは打って変わって朽ち果てていた。平成元年(1989年)に、天城湯ヶ島町教育委員会によって立てられたものらしいが、2012年6月撮影のストリートビューで確認してみるともう木枠だけになっている。「中外鉱業(株)持越工場」の看板もはずされている。前述のサイトさん達には2000~2003年頃のようすが載ってるけど、一応この木製看板は20年近くも持ったんだな。
案内板書き起こし。
伊豆の金山(かなやま) 豆州湯ヶ島村金山(カネヤマ)は、天正の頃より金銀が採掘された。二百枚、横沢、平山、宝木鉱(ホーキコン)、金沢(カナサワ)、岳(ハタガシ ラ)椎鉱(シイコー)の七坑よりなり、慶長二年(一五九七)大久保長安が伊豆の金山奉行に着任し最盛期を迎える。豆州志稿に「黄金多くことに上品也。諸々 の職人、商人全国よりきそい集い、遊女御免を蒙り賑わしかりし事共なりとあり、今なお残る採掘に係わる地名に応じを忍ぶことができる。 平成元年八月 天城湯ヶ島町教育委員会 |
ネットで見覚えのある鉱山施設が出てきた。道路沿いにあるから探すまでもない。「金山」と名がつくからには何か鉱山施設があるのかと期待して、湯ケ島坑探索はとりあえず後回しにして、金山バス停の方まで歩いて様子を見ていってみる。
カーブになった道の石垣上に鳥居を発見。ちょっと登って様子を見てみる。
祠が出てきた。
あまりお参りする人がいなさそうな神社
不動橋近くにある馬頭観音。「明和四年五月十七日 …主荻原傅助」の刻印(一部読み取り不可)。明和4年は1767年だから、240~250年位前か~。不動橋は昭和58年竣工でこの地域では古くない。
とりあえず金山バス停(東海バス)の先まで行ってみたが、民家以外にこれといって目立ったものはなく、戻ることにした。
バス時刻表。本数は上下とも少ない。改正時刻は2003年4月になってる。ちなみに2013年6月現在、修善寺駅から持越温泉まで行くバスは1日1本しかないみたいだ。
持越温泉から修善寺駅までのバスは1日3本(2013年6月現在)(http://dia.tokaibus.jp/OrangeGuide/pc/table.do?pole=1&busstop=6277&kind=0)(リンク切れ)
金山の古い石仏群。
金沢橋を渡り、来た時とはちょっと違う道で戻る。
金沢橋は昭和51年竣工。
金山の古い石仏群。
元の湯ケ島坑跡に戻ってきた。樹木に飲み込まれてるホッパー棟。
近づいてみる。
中を見てみたいと思ったけど、この調子では入る隙間もなさそうな…
建物の形もわからなくなってる。
ホッパー棟の上を登って行くと、グラウンドが現れる。
鉱山施設の工場の跡地をゲートボール場に変えたものらしい。
ゲートボール場の隅に湯ヶ島坑口がある。
左の建物は京大理学部地震観測室らしい。
背後の山の斜面に昔は鉱山設備があったらしい。
「湯ヶ島坑」の文字はまだ読める。
以前坑口全体にはめられていたらしい大きな鉄格子は撤去されていて、新たに施行されたと思われるコンクリで排水孔は固められていた。内部からパイプによる引水がしてあって、勢い良く水が流れていた。網状の蓋がかぶせられた下水設備も近年作られたものと思われる。
昔はトロッコがこの中を往来していたらしく、人も行き来できる大きさだったんだろうが、新たに塗り固められたコンクリ孔は幅が40cmほどしかななく、とても人が入れる大きさではなくなってる。確認しようとしても既になかったかもしれないが、残念ながらこの時トロッコのレール跡などを確認せずに帰ってきてしまった。
この手の廃坑から流れてくる水は毒々しい色が多いけど、ここは無色だった。地下水では珍しいくらい(?)勢い良く流れ出てた。
ゲートボール場わきには、鉱山事務所(?)鉱山本部(?)らしき建物を解体した後の基礎土台が残っている。
2000年頃まで建物は残っていたようだ…。
鉱山事務所(?)鉱山本部(?)らしき建物の正面出入口前にあった階段。建物が解体されても小階段は残された。脇にある木材は新しいから、地元の人がちょくちょく出入りしてるのかな。
古い車輪が転がっていたが、まさかトロッコのじゃないよね…。
ブロック小屋。よくわからない施設。
茂みの中に石碑らしきものが見える。
更に茂みの奥にはポッカリあいた空洞のようなものが。
ゲートボール場全景。
湯ケ島坑のあった丘を降りて帰ることにする。
来たコースと同じ道を辿って世古橋の方まで一気に戻る。ちなみに世古という地名の漢字は「世古」と「瀬古」両方見かける。どちらが正しいかは分からない。1月だけれども途中たくさん柿が成ってる木があった。
梶井基次郎文学碑そばまで戻ってきたところで、来た時には気づかなかった「世古の大湯」という看板を見かけて、入って見ることにする。無人の共同浴場で、一応は入浴無料という名目だけど、管理費100円(以上)が必要。全体的に施設は老朽化しており、夜になったら出そう・・・な雰囲気ではあるけど、逆にワクワクする。脱衣所も浴槽も小ぢんまりとしていて狭かったけど、誰も居ないだろうと思ったら先客が数人いて結構賑わっていた。お湯は無色透明で、匂いなども特にクセはない。脱衣所までは写真を撮れたけど、先客がいたため浴場内の写真は撮れず。
浴槽などの写真はこあじ伊豆観光ツーリングガイド(homepage2.nifty.com/koaji/onsenjouhou/amagi/sekonoyu.htm)さんで確認できる。(リンク切れ)
こういう共同浴場は大好きなので、いつまでも続けて欲しい。
場所:Google Maps
小さな階段を降りていく。日の当たらないジメジメとした場所で陰気臭くはある。
無人だけど一応ちゃんと管理されていて、ここから先夜は閉鎖されるみたい。
どんどん猫越川の渓流側に下ってく。
「地元班 大口寄付者以外の方は一人につき1回100円以上を入れて」と呼びかける看板。
入口。昭和そのものの雰囲気。子供だったら怖く感じるかも。私、子供のとき和風家屋とか怖くて嫌いだったし。手前が男湯、奥が女湯。
更に地下にある管理施設。
Google Mapsでは「瀬古」でなく「世古」と書かれてる。木の表札が良い感じ。
ここにお金を入れる。
脱衣所。木造りのロッカー。
脱衣所は2~3畳くらい?かな。
入浴を済ませて、気持ちもさっぱりしたところで、また湯ヶ島駅バス停の方に向かい始める。瑞祥閣前の坂を上がった所にある家屋。ただの民家かと思ったけど入口前に「娯楽室」と書かれてるのがすごい気になる。
「娯楽室」の文字。
下田街道沿いの古い廃店舗。
足立英語塾に戻ってきた。
奥の方の建物もカッケー。塀の痛み具合がカモフラージュ模様っぽくなってる。
重厚な和風家屋。
裏側から見たところ。正面の黄色い外壁が洋風っぽくて、裏が和風っぽい、和洋折衷型?
足立英語塾近辺の古い蔵。同敷地内かは不明。
足立英語塾の並びにある古い木造長屋家屋。
Google Mapsではただ「アパート」と記載されてるだけで、詳細不明。
昭和時代の下宿とか、小さな小学校の校舎とか、そんな感じにも見える。
更に周辺を散策しながらバス停方向に戻っていくと、昭和レトロなタイル細工の流しを駐車場わきに置いた民家があった。
昭和30~40年代頃のトイレとか洗面台とかお風呂とか水回りの定番のタイル細工、今新品で買おうとすると結構高い。楽天で見たら2~3万位もして驚いた。
こっちにもあった。
湯ケ島駅バス停まで無事たどり着き、帰路に着きました。
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